大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和55年(ワ)1048号 判決

原告 板井慎介

右法定代理人親権者父 板井絃二郎

同右母 板井和枝

右訴訟代理人弁護士 斎藤俊一

被告 ブロードウェイ管理組合

右代表者理事長 氏原平

右訴訟代理人弁護士 芥川基

主文

1  被告は原告に対し、金五五万一七四八円及びこれに対する昭和五四年一〇月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを一五分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

4  この判決は、第1項につき仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告

1  被告は原告に対し、金八六一万二四六一円及びこれに対する昭和五四年一〇月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

請求棄却の判決

第二請求の原因

一  (事故の発生)

原告の母板井和枝は、昭和五四年九月三〇日、原告(昭和四九年九月一二日生)を連れて東京都中野区中野五丁目にある中野ブロードウェイセンター(以下、センターという。)を訪れ、同日午後四時ころ、センターの一階から地下一階へ通じる下降専用エスカレーター(以下、本件エスカレーターという。)に、原告が和枝の一段前のステップに前向きで乗り、もう三段くらいで地下につくというとき、原告の履いていたゴム長靴の右足先端が原告の乗っていたステップと和枝の乗っていたステップとの間に巻き込まれ、ゴム長靴と一緒に右足指もステップの間にはさみこまれた。一段後方にいた和枝は、原告をすぐ抱きあげて右足を引抜いたが、右事故のために、原告は右第四、五趾先端部分切断および足背挫創の傷害を受けた。

二  (被告の責任)

1  本件エスカレーターは、被告ブロードウェイ管理組合が占有し、かつ管理しているものであり、センターの建物内に設置されて建物の一部を構成するものであるから、民法七一七条にいわゆる土地の工作物である。

2  本件事故のおきたエスカレーターには実測の結果ステップ間五八ヶ所のうち最大四・六ミリメートル(一ヶ所)のすき間があり、他は二ないし三ミリメートルのすき間があった。このすき間があるため、衣類やゴム靴等がひきずり込まれる危険が常にあり、特に合成ゴム製のゴム長靴は摩擦係数が高くライザーに密着するので危険度が大きく、このことは洋の東西を問わず業界の常識となっており、本件エスカレータはステップの垂直面が平で溝のない十数年以前の旧式のもので、溝のあるものより危険度は大きく、さらにその利用状況も、センター地下の売店や飲食店に行くために利用され、子供や老人も常時利用していたものであるから、危険防止のため、潤滑剤の塗布を講ずるとか、危険性や安全な利用方法の明示(ステップ・スカートの三偶を黄色で塗り危険を知らせる)をする等の安全対策を講ずるべきであり、特に雨のときは少なくともスピーカーなどで利用者に注意をうながすべきであるのに、本件事故当時、本件エスカレーターの非常停止ボタンにガムテープを貼りつけ瞬間的に利用できない状況にしていたことにみられるように、被告はこれらの安全対策を怠っていたがために本件事故を発生させたものである。

ところで、民法七一七条にいわゆる工作物の瑕疵とは、危険な工作物について損害の発生を防止するに足る設備を有しないことをいうものと解され、これには物的設備のみならず人的設備も含めて考慮さるべきであり、従って、エスカレーターの危険防止のための掲示や必要な注意をする手段も「設備」に加えてよいところ、前記のごとく何らの危険防止策が講じられていなかったのであるから、本件エスカレーターの保存に瑕疵があったというべきである。

三  (原告の損害)

1  慰謝料  金六、〇四二、三三二円

原告は足指切断のまま一生涯を送ることになり、夏季に素足をさらすことの苦痛は大きく、終生醜形に耐えなければならない精神的苦痛に対して慰謝すべき額五、〇〇〇、〇〇〇円、昭和五四年九月三〇日から同年一一月一四日まで、および昭和五五年二月九日から同年同月一九日までの入院慰謝料金三一七、三三三円、昭和五四年一一月一四日から昭和五五年一月三一日までおよび同年二月から一一日間の通院慰謝料金二五四、九九九円、後遺障害慰謝料金四七〇、〇〇〇円合計金六、〇四二、三三二円が相当である。

2  逸失利益 金二、五二八、一二九円

原告の右足の第四、第五の指先切断は終生のもので、本件受傷により労働能力を一部喪失(後遺障害別等級表によれば「第一三級の一〇」に該当する。)し、よって将来労働によって得られるべき収入の一部を得ることができなくなったものである。これを前提とし稼働年数を六七年、始期を一八年とし、収入は全年令平均給与額一か月金二四九、二〇〇円を基礎として、ライプニッツ係数によって算定すると、逸失利益は金二、五二八、一二九円となる。

3  入院雑費    金二八、〇〇〇円

原告は、入院していた通算五六日間に一日金五〇〇円の入院雑費を支出したものであり、その合計額は金二八、〇〇〇円である。

4  診断書作成料  金一四、〇〇〇円

5  (結論)

よって、原告は被告に対し、民法七一七条にもとずき金八、六一二、四六一円およびこれに対する不法行為後である昭和五四年一〇月一日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三請求の原因に対する認否

一  請求の原因第一項のうち、原告の受傷の程度は知らないが、その余は認める。

二1  同第二1は認める。同第二2のうち、エスカレーターステップ間のすき間の存在は認め、危険性については争う。通常の乗り方をしている限り危険はない。本件エスカレーターのステップ垂直面に溝のないこと、原告主張の利用状況であること、黄色でぬっていなかったこと、非常停止ボタンにガムテープが貼布されていたことは認める。本件エスカレーターが溝のあるものより危険であること、本件事故が安全対策の怠慢から生じたこと、管理者の義務内容は争う。

2  被告はエスカレーターの乗り口脇にステッカーを貼布して正常な利用の注意をうながしていたが、そもそも本件エスカレーターも利用者において通常の利用方法に従い利用する限りにおいては、原告の主張する程危険なものではない。本件事故は後記のごとく特殊な利用方法のために発生したもので、原告主張のごとき危険防止策の欠如との間に因果関係はない。すなわち、原告の母和枝は、本件エスカレーターに乗る際、原告の一段後ろのステップに乗ったうえ、乗っている途中で手にしたカサの先をステップの溝につっこんでしまいあわてて引き上げたため、先の段の原告が身を横向きにねじって半身になって和枝の方を振り返ったのであり、このため原告はつま先を進行方向にむけて乗っているという正常な乗り方ができず、靴が進行方向に対し直角程度まで横に向き、なおかつステップの中央部分でなく自らの乗っているステップとその一段上の後方のステップとの境目に靴の右側面前方を接してしまったため、通常はおこり得ない本件事故が発生したものである。

三  同第三項の事実はいずれも不知。

第四抗弁

仮に、原告の本件受傷について被告がその損害賠償の責に任ずるとしても、原告の母和枝にも次のとおりの過失があったのであるから、右過失は原告の損害額の算定にあたって斟酌されるべきである。

すなわち、和枝は原告のごとき幼児の監督者として原告がエスカレーターに乗るについては、常にその動静に注意しかつ足元に注意して危険な結果を防止すべき義務があるにもかかわらず、その義務を怠り、一段先に原告を乗せ自らはその一段上にのったまま原告を放置したのみならず和枝自らカサをステップから引きあげて原告を振り返らせ靴をステップ間のみぞに接触させたものである。

なお、被告は、原告の治療費(東京女子医科大学病院分二、四三八、五〇五円)全額を支払った。

第五抗弁に対する認否

否認する。ただし、被告が原告の治療費全額を支払ったことは認める。

第六証拠《省略》

理由

一  請求の原因第一項の事実は、受傷の程度を除き、当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、本件事故により原告は右第四、五趾先端部分切断及び足背挫創の傷害を負い、右第四趾近位関節部より遠位五ミリメートル、右第五趾近位関節部より遠位三ミリメートルにてそれぞれ切断し、軟部組織は第四、五趾に連続して足背部で約二×三センチメートル欠損、足底部で第四、五趾を囲む組織の全欠損を生じた事実が認められる。

二  被告の工作物責任について

1  請求の原因第二1の事実は、当事者間に争いがない。

2  本件エスカレーターは、中野ブロードウェイセンターの建物内に設置されたものであるから、民法七一七条にいう土地の工作物にあたることは明らかである。そして同条にいう土地工作物の保存に瑕疵があるとは、当該工作物の設置された場所の環境、構造、用途、利用状況等諸般の事情を総合考慮したうえで、具体的に通常予想されうる危険の発生を防止するに足りると認められる程度の(特に安全性について)設備ないし配慮を欠いている状態を指称しているものと解される。

そこで、これを本件についてみるのに、《証拠省略》を総合すると、

(一)  本件エスカレーターは、昭和四〇年に設置された訴外株式会社日立製作所の製品で、ステップ垂直面(ライザー)には溝がなく、ステップとステップがかみ合うすき間五八ヶ所のうち、最大四、六ミリメートル(一ヶ所)のすき間があり、他は二ないし三ミリメートルのすき間があったが、日本工業規格(JIS)の検査標準が要求するステップ間のすき間二ミリメートルないし五ミリメートルという基準に最大四、六ミリメートルのすき間も含めてすべて適合していたうえ、被告は、訴外日立メンテナンスサービス株式会社にその保守点検を委託していたが、本件事故の数日前になされた右点検でも何ら異常がなく、本件事故当日も通常どおり運転されていたこと。

(二)  ゴム長靴やビニール靴(以下、ゴム長靴等という。)は、革靴等に比べて滑りにくいうえ柔らかいため、エスカレーターのステップの垂直面(ライザー)に触れると、ステップとステップ間のすき間が前記検査標準の範囲内であっても、密着状態となって引きずり込まれる危険が高いことは業界の常識に属することとされており、したがって、エスカレーター等のメーカーでつくる訴外社団法人日本エレベーター協会では、ゴム長靴等による乗降は危険であるから、ステップの中央に足の位置を定めるよう注意を呼びかけるポスターを作成する等の広報活動をしており、またライザー部分に溝をつけたり、潤滑油を塗ったり、ステップとステップ間及びステップと手すり下との間のすき間を、注意を呼びかけるため、黄色の線で塗る等の措置がとられるようになっていたこと。

(三)  しかるに、本件エスカレーターには、その乗り口わきの手すり下のスカート部分に、母と子が子を中央に位置させて同一ステップに乗り、母が手を手すりにかけているイラストに「手は手すりに、お子様は中に」との標語を記載したワッペンが貼られ、降り口に黄色を塗り、そのスカート部分に、子供が足をあげているイラストに標語を記載したワッペンが貼られていたのみであり、潤滑油や注意を呼びかける前記黄色の線並びにゴム長靴等の危険を知らせるポスターや放送等の措置は一切講じられていなかったこと。

以上の事実が認められ、右事実に照らすと、本件エスカレーターには、その構造上に特段の瑕疵はなかったものの、これを安全に運転するため、その本来備うべき設備ないし配慮を欠いていたものであって、その保存に瑕疵が存在したものというべきである。

3  ところで、被告は、右瑕疵と本件事故発生との間にいわゆる相当因果関係がない旨主張するので検討する。

まず、本件事故当時、原告は和枝より一段下方のエスカレーターステップに一人で前向きに乗り、原告の乗っていたステップと和枝の乗っていたステップとのすき間に原告の右足がまき込まれたため発生したものであり、原告の受傷部位が右第四、五趾先端部分であることは、前記認定のとおりであるから、原告の履いていた長靴の先の部分が、本件事故直前進行方向に対し、少なくとも直角程度まで横に向いていたことを意味すると考えるのが合理的であるところ、《証拠省略》を総合すると、原告の母和枝は、セカンドバックと単行本三冊を左手に抱えたうえ、和枝と原告のカサ二本を左下腕の内側にかけた状態で原告の一段上のステップに乗り、やや不安定なカサの持ち方をしていたため、カサの先の方を本件エスカレーターのステップの溝にひっかけ、あわててこれを取ろうとしたため、先の段の原告が身を横向きにねじって半身になって、和枝の方を振り返り、このため原告は、右長靴を進行方向に対し直角程度まで横に向かせ、ステップの垂直面(ライザー)に右長靴の右側面前方を接してしまい、本件事故を招来させたものであることが認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定事実に徴すると、たしかに、原告の母和枝の行動が本件事故発生の一因をなしていることは明らかであるが、原告において、本件事故の際に、通常の利用方法と異なり、ことさら本件事故発生の原因となる乗り方をしていたとまでいうことはできず、本件事故は、本件エスカレーターの前記瑕疵と相当因果関係があるものと解するのが相当である。

三  原告の被った損害について

1  《証拠省略》によると、原告は、本件事故により、右四趾近位関節部より遠位五ミリメートルにて切断、右五趾近位関節部より遠位三ミリメートルにて切断及び足背挫創の傷害を受け、ために昭和五四年九月三〇日から同年一一月一三日まで四五日間及び昭和五五年二月九日から同月一九日まで一一日間、東京女子医科大学病院に入院して、右第四、五趾欠損部の造趾術、欠損趾再建術の治療を受け、さらに昭和五五年四月一九日まで通院(実通院は一五日)して治療を受けたが、造趾術後の右第四、五趾につき、労災等級一三級の九に該当する後遺障害を残したものの、歩行には影響がないことが認められる。

2  入院雑費

原告法定代理人和枝の供述、弁論の全趣旨によると、原告は、その入院期間(五六日)中に雑費として一日金五〇〇円を下らない額を支出したことが認められるから、入院雑費の合計は、金二万八〇〇〇円となる。

3  診断書作成費用

《証拠省略》によると、原告は、診断書作成費用として、金一万四〇〇〇円を支出したことが認められる。

4  逸失利益

原告は、逸失利益の損害を主張するが、その根拠とする後遺障害の存在は、前記のとおり認定できるけれども、前記のとおり、歩行には影響がない以上、将来の進学、職業選択、稼働能力に特段の影響があることを認めるに足る証拠がない本件においては、労働能力喪失による逸失利益は認めがたく、慰謝料算定事情として考慮するほかなきものというべきである。

5  慰謝料

原告は、受傷当時満五才にすぎず、本件受傷部位が外部的に目立つものであり、大腿皮の移植手術痕が残存し、入・通院期間もかなり長期に及んだことや後遺障害の程度等を勘案すると、本件受傷により、原告が被った精神的損害は、金三五〇万円が相当である。

四  過失相殺について

1  原告の母和枝は、満五才の幼児の監督者として、原告が本件エスカレーターで昇降する場合には、同じステップに乗せて手をつなぎ、その足もとに注意を払い、ステップとステップの間のすき間に足をはさむことのないように十分な注意を払うべき義務があるのに、前記のとおり、幼児一人を自己の前のステップに乗せたばかりでなく、自らのカサの先端をステップの溝にひっかけ、あわててこれを取ろうとする動作をしたため、原告を横向きの半身にさせて振りかえらせるにいたり、本件事故を招来させたものであるから、満五才児の監護者としての和枝に過失があったものであり、本件事故に対する原告側の過失というべきである。

2  右の和枝の過失に鑑みると、原告の損害のうち、五割に相当する額は、原告側の過失によるものと解するのが相当であるから、前記認定にかかる損害額合計金三五四万二〇〇〇円に、被告が原告の治療費として支出したことに争いのない金二四三万八五〇五円を加えた全損害額金五九八万〇五〇五円に五割を乗ずると、その額は金二九九万〇二五三円(円以下四捨五入)となり、これが被告において負担すべき損害額であり、これから既弁済額(治療費)金二四三万八五〇五円を減ずると、被告が賠償すべき額は、金五五万一七四八円となる。

五  結論

以上のとおり、本訴請求は、損害賠償として、金五五万一七四八円及びこれに対する不法行為ののちである昭和五四年一〇月一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例